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岩本絹子の経歴:医師としての歩みと大学経営者としての挑戦

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岩本絹子氏は、佐賀県唐津市出身の医師であり、東京女子医科大学の元理事長として知られています。

そのキャリアは医療分野での実績だけでなく、大学経営者としての手腕と課題を通じて注目されてきました。

医師としてのキャリアのスタート

出典:文春オンライン

1973年、東京女子医科大学を卒業後、同大学産婦人科に入局した岩本氏は、1977年に大学院を修了して医学博士の学位を取得。

その後、葛西中央病院で産婦人科部長を務め、1981年には東京都江戸川区で「葛西産婦人科」を開設しました。

院長として地域医療に貢献し、患者からの信頼を得てきた実績は医師としての確かな基盤を築きました。

東京女子医科大学との深い関わり

岩本氏は、同大学の創立者・吉岡彌生氏の一族であり、大学と深いつながりがあります。

2013年には同大学同窓会組織「至誠会」の代表理事(会長)に就任し、2014年には大学の副理事長、2019年には理事長に就任しました。

理事長として在任中は、大学の財政改善を目指し、人件費削減を含む経営改革に取り組みましたが、これには賛否が分かれ、大学運営に関する批判も少なくありませんでした。

経営問題と解任の経緯

2024年3月、勤務実態のない職員への給与支払いが発覚し、不正の疑いで警視庁が大学本部や岩本氏の自宅を家宅捜索する事態となりました。

第三者委員会の調査を経て、同年8月には臨時理事会で理事長を解任され、その後理事や評議員からも解任されています。

岩本氏の解任は、東京女子医科大学の再建に向けた新たな一歩となりましたが、これまでの経営方針や大学運営の透明性についても議論が続いています。

岩本絹子の多面的な顔

岩本氏は医師としての実績だけでなく、大学経営においてもその存在感を示してきました。

一方で、経営方針や財務管理における問題が浮き彫りになったことは否めません。

また、彼女は宝塚歌劇団の元トップスター・彩輝なお氏を支援する「おばさま」としても知られており、医療や教育だけでなく文化的な面にも関心を寄せています。

今後の展望

岩本絹子氏が離れた後の東京女子医科大学は、新たな体制の下で再建が進められる予定です。

大学が今後どのように信頼を取り戻していくのか、引き続き注目されます。

まとめ

岩本絹子氏の経歴は、医療と教育の両面で功績を残しつつも、経営者としての課題も浮き彫りにしています。

彼女の歩みを振り返ることで、現代の医療機関運営や教育機関の課題を考えるきっかけとなるのではないでしょうか。

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